☆ブログ版☆ 「東京ホームレス」 村上知奈美 -226ページ目

クリス・ガートナーさん

昨日の記事、より詳しい内容が産経新聞に掲載されたようです。

「私はホームレスだったが、ホープレスではなかった」

そんな風に語る この人の名前は、クリス・ガートナーさん(49)

以下、記事をどうぞ。(5/25 産経新聞より)



不屈の男、米で映画化

服役→子連れホームレス→証券で成功、億万長者


           クリス


駐車違反で服役し、子連れのホームレスとして地下鉄の駅などで

暮らした黒人男性が、その後、証券業界で成功を収め、

億万長者となった波瀾万丈の人生ドラマが全米で話題を呼んでいる。

テレビが紹介したのがきっかけだが、来年にはハリウッドの大手映画

制作会社、コロンビア・ピクチャーズが映画化。

主人公は人気俳優、ウィル・スミスが演じる。


この人物はクリス・ガートナーさん(49)。

ルイジアナ州で生まれ、教師をしていた母親に女手ひとつで育てられた。

高校卒業後、海軍を経てサンフランシスコで医療関係の仕事に就き、

一九七八年には結婚。息子もできた。

念願だった高給の株式ブローカーへの転職話が舞い込んできたが、

経験も人脈もないため結局採用されず失職。

妻子にも見捨てられた。

そのうえ、路上駐車違反の罰金(千二百ドル=約十二万八千円)

未納で刑務所へ。十日間服役し、出所後、薄給の株式ブローカーの

見習いとして再出発するが、別れた妻が彼に幼い息子を押し付けた。

宿泊先の下宿は子供との同居は認めておらず、彼はホームレスに。

三十歳の時だった。


しかし、昼間は見習いとして猛烈に働き、夜は息子と一緒に地下鉄や

空港のトイレで寝泊まりした。食事は貧困者用の給食施設で済ませた。

こうした奮闘ぶりが大手証券会社のトップの目にとまり、

その後、着実にキャリア・アップを重ねた。


八七年十月にはシカゴで自分の会社、

ガートナー・アンド・リッチ証券会社を設立。

同社は後にニューヨークとサンフランシスコにもオフィスを構え、

これまでに累計約五十億ドル(約五千三百億円)の商いを行った。
現在のガートナーさんは高級ブランドのスーツと靴、

そしてマイルス・デイビスのレコードであふれる豪邸三軒のオーナーだ。


今年一月、米三大ネットワークのひとつ、ABCがニュース番組で

彼の半生を紹介。

「私はホームレスだったが、ホープレス(希望がない)ではなかった」

「母はいつも私に『あなたが望むなら、百万ドル(約一億円)だって

手にすることができる』と説いた」と語り、サクセス・ストーリーが

大きな反響を呼んでいる。(産経新聞)



ホームレスから億万長者に

こんな話を聞くと、なんだか 希望を感じますね…。

映画の公開も、とても楽しみです。



地下鉄のトイレで寝泊まりするなどホームレス生活まで経験した人物が

その後、株式ブローカー見習いを足掛かりに証券業界で成功、

億万長者となった波瀾万丈の物語が米国で話題を呼んでいる。

既にテレビで全米に紹介され、

来年にはウィル・スミス主演で映画も公開される予定だ。 【時事通信】


ホームレスなんか…


           mitchan&chinami     

     

        

みっちゃんと みっちゃんの知り合いのホームレスのおじさんに会いました。

名前は秘密、顔はニュースに出たことがある、というその人は、46才、

日雇いの建設関係の仕事をしているそうです。

一見強面、でも、話してみれば ユーモアのある面白いおじさんでした。

そんなおじさんが、冗談っぽく 私のことをみっちゃんに聞きました。

「この子、誰よ?ホームレスの子か?」


すると、みっちゃんがものすごい剣幕で怒り始めました。

「何言ってんだよ!!この子は、ホームレスなんかじゃないよ!!

なんでそんなこと言うのよ!ちゃんとした家に住んでる子だよ!

見ればわかるでしょう?ホームレスなんかじゃないよ!!!」


おじさんは、「分かった、分かった」と納得してみせ、

私も一緒になだめるのですが、みっちゃんの怒りは治まらないようで…

しばらく、一人怒りっぱなしの状態が続きました。

ホームレスではない人がホームレスの人を指して 「ホームレスなんか…」

という言葉を聞き、ショックを受けることはあっても、

こうして、当事者であるみっちゃんから 同じ言葉を聞くというのは、

それをはるかに超えるショッキングな出来事でした。


みっちゃん自身が、自分の立場にとても引け目を感じているのだ…

初めて みっちゃんのそんな気持ちを、はっきりと知ることになりました。


ホームレス地域生活移行支援事業(代々木公園)

代々木公園に行ってきました。

新宿では、 421人のホームレスの方が野宿→家賃3000円のアパートに

移った、という 東京都による地域生活移行支援事業…この事業が、

いよいよ代々木公園を対象に動き出しつつあるようです。


「プレハブの相談所ができました。来れますか?」

昨日、知り合いのホームレスの方から電話がありました。


          プレハブ相談所


その人は、今、とても迷っているようです。

アパートには入りたい、そして、3000円の家賃も払うことはできる…

”でも…” という気持ちのようです。

その 「でも…」の部分を、今日は 詳しく聞いてみました。

まだまだ その人自身、この事業のことを理解しきれていないなあ、

というのが率直な感想ですが、改めてゆっくりお話をしておさらいして

みました。


心配している点

①入居するアパートが今の仕事場から遠かったらどうしよう?

(今の仕事場で、交通費を払ってまで 自分を雇い続けてくれるか心配)

②特に親しいと思っている友人がいる訳でもないけれど、周りの見知った

仲間とまるで会えなくなると、一人ぼっちになってしまうのではないか?

③2年後、家賃3000円では住めなくなったら、やっていけるのか?

(今の仕事のままでは、普通の家賃のアパートに住む余裕はない)

主にこのような心配があるようです。


今日、お会いした方は、とても長く公園で生活してこられています。

心配なことが多いのは当然のことかもしれませんよね…。

私も、これからも様子を見守っていきたいと思っています。


*地域支援移行事業について、詳しくは、HP「東京ホームレス」内

2004年2月19日、3月19日、6月21日の日記を ぜひお読みになってください。

http://www.tokyo-homeless.com


小谷美紗子さんのライブにて

小谷美紗子さんのインストアライブに行ってきました。

小谷さんの歌を生で聴くのは初めて。とてもいいライブでした。


私の いま1番のお気に入りは、「照れるような光」という曲なのですが

…やっぱりいいなあって思いました。


1番の歌詞を聴きながら、ホームレスの皆さんの姿が浮かびました。

2番の歌詞を聴きながら、ホームレスの皆さんの傍にいてくれる人が

いたらいいのになあって思いました。



「照れるような光」      作詞・作曲 小谷美紗子


Dear 昔の人 あれからどんなことを思いながら

面影朽ちる君のあの路 歩いていましたか

私は過去を 残さず食べて 今を確かに生きています


答えをずっと求めていた私の冬が

何度も溶けて忘れられて ただの冬になった

あの恋に 別れに試されながら 今日へと登れました


悲しみを 蔑みを うらぎりを ありがとう

私を うたわせて 生かしてくれて ありがとう


あんなに きれいで憎かった夢も 君の姿も

いつの間にかTVを観るように人ごとになっていた

敵、味方と壁を作ることなどもう 必要なくなったんだね

時は優しいね



Dear 傍にいてくれる人 あなたの前で

女の子らしいスカートに 足がすくんでしまうような

慣れていない幸せの形に 私は戸惑っています


照れるような光を 愛しい気持ちをありがとう

あなたが救ってくれた 私の過去にありがとう


私には 幸せが似合わないけれど

あなたには 幸せがとても似合うけれど

そんな二人がまだ一緒にいてもいいよね

陽のあたる場所にいてもいいよね


もし添いとげる ゆっくり奏でる時を過ごせたら

私は決して あなたよりも先に死なない